考えの浅い人。
徒然草116段。
徒然草116段には、現代の世を表すようなことが書かれています。
寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、
昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、
やすく付けけるなり。この比は、深く案じ、
才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。
人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。
何事も、珍しき事を求め、
異説を好むは、浅才の人の必ずある事なり。
引用元の現代語訳では、
『お寺の名前や、その他の様々な物に名前を付けるとき、
昔の人は、何も考えずに、ただありのままに、わかりやすく付けたものだ。
最近になって、よく考えたのかどうか知らないが、
小細工したことを見せつけるように付けた名前は嫌らしい。
人の名前にしても、見たことのない珍しい漢字を使っても、
まったく意味がない。
どんなことも、珍しさを追求して、
一般的ではないものをありがたがるのは、
薄っぺらな教養しかない人が必ずやりそうなことである。』
昨今ではキラキラネームが色々と話題になっていますが・・・
兼好法師の時代にも、もしかすると、
キラキラネームってあったのかもしれませんね。
浅才の人。
キラキラネームに限ったことではなく、
界隈関係者にも同じことが言えると思います。
教祖人の知識の浅さと、それを鵜呑する信者の浅はかさ・・・
『何事も、珍しき事を求め、
異説を好むは、浅才の人の必ずある事なり。』
どんなことも、珍しさを追求して、
一般的ではないものをありがたがるのは、
薄っぺらな教養しかない人が必ずやりそうなことである。
界隈の養分ホイホイに次から次へと釣られる方々は、
目新しさや珍しさを追求して、
世間では一般常識とかけ離れたものをありがたがりますが・・・
それは、薄っぺらな教養しかない人が、必ずやることです。
難しかったり、珍しそうなものをありがたがって聞いたところで、
ことの本質を見極められなければ、意味がありません。
真理は単純で美しい。
真理とは単純で美しいものです。
そんなお話を見つけました。
引用元にて・・・
『ある高名な科学者の方が、
現象を記述する公式を見つけられたそうですが、
その公式が複雑で見た目が美しくないので、
それはきっと間違っているのだろうと思われたそうです。
そして、実際それは間違っていて、
よりシンプルで美しい公式が見つかったそうです。』
どのような分野に関わらず・・・
『時に、屁理屈を並べ、
小難しいことを語られる方がおられます。
それも真実かもしれませんが、
それを掘り下げるともっと
単純で美しい説明が出来るそうです。』
界隈の様々な事柄に関する発信は、
どこかの本やネットで拾ってきた、表面的な知識なのでしょう。
屁理屈や小難しいことを並べれば、
知識があるように見えるとでも思ってるのかもしれませんが、
大切なのは、子供でも分かるように
物事の本質を語ることではないでしょうか?
シンプルな言葉こそ、実に力があるものです。
小難しい言葉なんて、右から左に聞き流されるだけかと・・・
新たな知識を得る時は、表面だけ理解せずに、
それを更に掘り下げて考えて、自分の物にしましょう。
以上、お読み頂きありがとうございました。