世間と界隈の乖離。
正しいこと。
こんな呟きを見かけました。
半沢直樹の作中の言葉のようですが・・・
界隈とは全く逆の考え方です。
1、正しいことを正しいと言えること
— ジーノ (@zino_lv2) 2020年8月9日
2、世間と同じ常識を持つこと
3、ひたむきで誠実に働いたものが評価されること
当たり前なのにできないのは銀行だけじゃないよね。どの世界にも通じるこの言葉奥が深いな。#半沢直樹
1.正しいことを正しいと言えること。
界隈では、批判者をブロックする傾向があるので、
正しいことを正しいとは言えないかもしれません。
2.世間と同じ常識を持つこと。
界隈の人々の中には、世の中で普通の仕事をしている方々を、
煽ったり馬鹿にしたりする傾向にありますが、
そのような方々の仕事のお陰で、生活できているという認識が希薄です。
だからこそ、アンチや批判者からの厳しい指摘に晒されるのです。
3.ひたむきで誠実に働いたものが評価されること。
虚業の中に生きる界隈民は、いかに楽をして自分が稼ぐかだけを考え、
情報弱者を引き込んで囲い込むことで日銭を稼いでいます。
情報商材を購入したユーザーのことなどは、考えておりません。
誠実とは程遠いと思います。
あくまでもドラマでのセリフの言葉ではあるかもしれませんが、
人として生きていく中では、このような事柄というのは、
必要最低限のことだと思います。
嫌われても成功する秘訣。
正しいことを正しいと言えるというのは、実際は難しいことで、
組織に属していれば、立場によっては無理なこともあると思います。
そのような状況で、正しいことを正しいと言えるには、
どうすれば良いのでしょうか?
引用記事の中では、ニュアンスが少し違うかもしれませんが、
人に嫌われても成功する人の特徴として、
『一貫性』が挙げられています。
『どれだけ自分の意見を押し通そうが、
厳しく振る舞おうが、その根底に「一貫性」があり、
それが周囲のためになっていると認識されている人は、尊敬され、出世する』
過去の言動と現在の言動がブレブレな界隈民には、
一貫性というものはなく、そのようなズレをアンチや批判者は、
厳しく指摘しているだけなのですが、
何故か批判を脳内で誹謗中傷に変換しています。
世間との乖離。
現在、必死になってオールドメディアで喧伝されてる方がおられるようですが、
メディア側も、当人が誹謗中傷を受けるようになった背景を一切報じず、
本人の言い分だけを鵜呑みにしているような印象を受けました。
世間との意識の乖離は激しいものと感じます。
その世間との乖離の原因を根本的に理解していないのが、
界隈の問題点なのです。問題の本質を見極めない限り、
世間との乖離は更に広がることでしょう。
情報開示についてたまたま見た番組において、
橋下徹氏が、
『時間を短縮すると、
表現の自由にも影響があるので非常に難しいが、
交通事故裁判のように、
レ点チェックで済むような手続きの簡素化は必要。』
とコメントされていました。
本当に誹謗中傷を受けている方にとっては、
本人でも手続きが容易になるような簡素化は必要だと思います。
問題は、その制度を悪用して言論統制をしようとする輩のほうです。
自分の過去の言動を棚に上げて、アンチや批判者を訴訟で脅すという行為は、
どう考えても容認できるものではありません。
明らかな誹謗中傷は問題でしょうが、本人の言動を的確に指摘していることが
誹謗中傷と判断されるとは、到底思えません。
今後、SNS運営会社への情報開示請求や、
プロバイダーや携帯電話会社への開示請求が行われるとは思いますが、
その時、誹謗中傷に至った背景を明らかにされたら、
訴えた側はどう反論するのでしょうか???
人の不幸に便乗して、アンチを言論統制しようとしたが、
逆に自分の過去の言動を穿り返されて、
大ダメージを受けるということになるだけのような気がします・・・
世間と正しい常識を持つということは、
とても大切なことなのです。
世の中の歯車として生きることも、歯車から外れていきることも、
最低限の常識があってこそできることだと思います。
どのような生き方をするとしても、一欠片の良心は持ちたいものです。
以上、お読み頂きありがとうございました。